あっさり子宮全適手術を選択
以前、同じ職場で働いていた30代前半の女性Kさんの話。
ある日、仕事帰りの食事の席で「私、子宮筋腫があって子宮を取っちゃおうと思ってるんですよ」と打ち明けられた。
Kさんは結婚して2年ほど、旦那さんとは共通の趣味で仲良くなり結婚したため、休日は一緒に趣味を楽しんだり非常に仲が良いと聞いていたが子供はまだいなかった。
「子宮を取っちゃったら子供は完全に作れなくなっちゃうんだよ?まだ30代前半なんだから、子供を作ってからとか考え直した方がいいんじゃない?」と説得しましたが、彼女の気持ちは固まっていました。
「マンションを買ってローンがあるし、お互いに高収入というわけでもない。二人の趣味を楽しんで生きていく未来は見えるけど、子供を育てる未来は見えないんですよ。だって、今の時代、子供を持ったら負け組決定じゃないですか」と。
確かにぽさのふぁんも子育てで苦労をしたので分からなくもないけど、40歳近くになって子供が欲しいと騒ぎだした友達も見て来たので、「そうは言っても将来的に欲しくなる可能性もあるし、せめて卵子凍結とか万が一の時の手は打っておいた方がいいんじゃない?」と説得しましたが、Kさんはあっさり翌月に子宮全摘手術を受けてしまいました。
子宮全摘手術後のKさんの変化
納得して行った結果に後悔することもあるのが人ですから、Kさんも本当に子宮を失ってしまったら後悔しているかもしれないと心配しましたが、手術後に仕事復帰した彼女は以前と変わらず、むしろ明るくなっていました。
生理が無くなったことで体調が良く生活がラクになったと話す彼女に後悔は見えず、同じ女性として羨ましささえ感じたほどです。
その後も旦那さんと好きなアーティストのライブに行ったり夫婦二人の生活を満喫しているようで、子供がいないからできる余裕のある「勝ち組生活」を楽しんでいます。
「結婚したら子供を作るもの」「子供が夫婦の幸せの象徴」「女の幸せは子供を生んで完成」みたいな風潮の中で、そんな概念を捨ててしまえば自分の幸せのために生きられるんだということを教えてもらいました。
子供を作ればお金と時間が子供に向けられてしまい、「子供のために働き」「子供のために生き」夫婦ともに疲弊していく生活になる。
今月頑張ったら〇〇をしようという自分の楽しみは数年先までお預け状態で働くのは苦痛でしかない。
「それが親になるってことでしょ!」と怒る人もいるでしょうが、だったら「どうして親にならなきゃいけないの?」という疑問も浮かぶ。
私たち女性の多くは「子供を作ることが女の幸せ」ということが遺伝子レベルで植え付けられているようで、「結婚したら子供を作る」「妊娠したら子供を生む」という選択が自然と湧き上がる。
でも、それは単なる「標準装備」であって使いこなせる機能なのかは別の話、個々の能力による。
そもそも親になる能力を持ち合わせていなかったかのように自分の子を虐待する親もいれば、ネグレストで死に至らしめてしまう親もいる。
「ならば最初から生まなければよかったのに」と思うのだが、これが「標準装備」の感覚のせいだとしたら、子供を作らないという選択ができるのは人生のどこかのタイミングで「標準装備」を外してしまっているのか、そもそも装備していなかったのか、はたまた進化したのかは分からないが、自分の幸せを考える時には迷いなく正しい答えを出すことができるのだろう。
老後に必要な資金は2000万?
最近では老後の資金は2000万もいらないという話もあるが、それは働ける限り働くことを前提とし、且つそれなりの給料を稼げること、ローンのない持ち家があることが条件になり、多くの人はやはり2000万以上の用意が無ければ安心な老後は迎えられない。
例えばぽさのふぁんが今の生活を維持しようと思ったら2000万なんて5~6年で消えてしまうし、仮に年金が毎月15万あったとしても2000万では10年ほどしかカバーできない。
そもそも年金が15万入る保証もなく、最終的に老人ホームに入る費用を考えたら体が動く限り働き続けなければならないだろう。
しかも、子育てでお金を使い果たしてしまったぽさのふぁんに2000万円が作れるのかも分からない。
では、子育てにいくら使ったのかというと、内閣府の調査では子供を1人育てるのにかかる費用は3000万円~4000万円と出ており、ぽさのふぁんも間違いなくそれくらいは使っています。
子供2人に幼少期から複数の習い事や学習塾に通わせ、毎年旅行に行き、衣食住不自由なく奨学金も背負わせずに医療従事者に育て上げているので、6000万円は余裕で使ってるはず。
子供たちが成人してぽさのふぁんより多く稼いでいる今でも、月に一度は食事に連れ出し、年に1回は旅行に行く。
贅沢だとか、成人した子供にお金を使う必要はないと言う友達もいるけど、ストレスフルな時代の中で働く意欲を保つためには親の定期的なケアは大事だというのがぽさのふぁんの考えで、それが親の責任とも考えている。
子供たちが御馳走してくれる機会も増えたけど、ぽさのふぁんが子供たちに使う金額は毎年かなりの金額で、それらも含めたら子育てに費やしたお金で都内23区にマンションが買えていただろうと思うとちょっと悔しい。
今の時代これだけのお金が子育てにかかり、老後の資金も必要となると本来であればどちらかを諦めなければならない人が大半のはずだが、老後の資金作りを諦めるというのは年老いて生きることを諦めるか、未来の若者に今以上の税金区を背負わせることになる。
その一人に自分の子もなってしまうことを考えると、苦労の少ない幸せな人生を歩ませてあげるためには財産を残してあげることも考えなければならない。
ここまで考えると、もはや子供は裕福な人のみが作れるもの、一般庶民が作ることは生まれてきた子供にとって迷惑な結果になるのではとも考えてしまう。
そうはいっても少子高齢化で子どもの誕生を促すために政府が躍起になっている現実があり、その政策のために独身税ともいわれる新たな税金徴収を控え、国民はどんどん苦しめられる負のループ状態。
一人でも多くの子を生むことが世の中のためになるのは間違いないが、自分や子供の幸せを考えた場合、充分なお金をかけてあげる自信が無いのならば、自分の人生を犠牲にして働き続ける自信が無いのであれば、生まないという選択肢も必要なのではと思う。
一度この世に生み出してしまったら一生をかけてその責任を負わなければならず、その責任はリタイアの許されない過酷なものだから。
これからの親は、成長過程の中で「標準装備」を外してあげ、自分に合った人生の選択ができるように育ててあげることが必要なのかもしれません。